信大・東大・大町市共同研究「大町わがまち案内人」
Vol.8 古地図を片手にまちあるき
開催日:2月25日(火)10:00~12:00
参加人数:10名
【案内人】梅田 敏男さん(多趣味な建築設計士)
大町市の江戸時代や昭和の地図を見ながら、今の街並みと見比べて歩きます。
古いけど新しい発見があるかもしれませんよ。
今回は満員、10名の方にご参加いただきました。
梅田さんが古地図に現在の地図を当て込んで作ってくれた資料を手に、.BASE OMACHIをスタート。
まずはお隣ちょうじやの前で、塩の道の話。本通りの北から南に延びてきた塩の道は
いーずら大町特産館前の交差点で東に曲がり、150m先でまた南へと続きます。
なぜクランクしているのか。それについては後ほど。
続いては現在のアルプス囲碁村会館へ。ここにはかつて市役所がありました。
少し南には税務署もあったようですが、正確な場所は不明。。。
そこから北へと向かい、白塩小路と呼ばれていた、市野屋商店北側の通り、
千本木小路と呼ばれていた本通りから合庁へ向かう道を通り過ぎます。
「千本木小路」は京都の「千本通り」に倣ってつけられたそうですが、名前の由来、何が千本かというと、
なんと「卒塔婆」!そう、お墓に立っているあの板です。
そしてさらに少し北へ向かいます。到着したのは「妙喜庵」。ここはもともと本通りに面するところまで
敷地があった、霊松寺の隠居寺でしたが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、
現在のこじんまりとした姿になったそうです。
そのまま本通りに抜け、南下します。途中で梅田さん得意のクイズ。
大町には開かれた市の日付にちなんだ町名がいくつかありますが、市と関係ないのは?
「三日町」「六日町」「十日町」。。。
正解は「十日町」。十日町は「北原町」から分離してできた比較的新しい町名だそうです。
お次は八十二銀行前に到着。かつて郵便局があったこの場所で話を聞いていると、
たまたま舎長が通りかかりました。商店街で生まれ育った舎長は当時の郵便局を
覚えていて、そのときの様子を話してくださいました。
昔の郵便局の写真を見ると、壊したのがもったいないくらいおしゃれな建物でした。
八十二銀行を過ぎると交差点があります。この交差点、東西の道が少しずれていますよね?
これ、実はまちを守る仕組みなんだそうです。
あえてずらすことで見通しを遮り、敵が一気に攻めてこられないようにしているんだとか。
この仕組みを「食い違い」といいます。
そうです、先に話した、塩の道がクランクしているのも同じ理由です。あちらは「枡形」といいます。
宿場町でも、このようにまちを守る仕組みがあったんですね。
一度、地蔵通りのお地蔵さんに寄り道して再び本通りへ。松葉屋旅館前で最後となります。
ここでは、信濃大町駅から商店街を通り、旧北高前から高瀬渓谷へと路面電車が走っていたころの
話をしてくれました。前回の梅田さんのまち歩きには参加していないのでみんなびっくり!・・・
かと思いきや、今回はベテランの方々が多く、ほとんどの方が当時のことを知っていました。
ダムの工事用でしたが、登山客も運んでいたとのこと。現在のエネルギー博物館あたりまでは電気で、
その先は馬や牛が引っ張っていたそうです。商店街が先に廃線となりましたが、
旧北高前は昭和4年の地図には残っていました。
ただ、昭和44年の水害ですべて流されてしまい、廃線となったようです。
今回は、古地図を片手に、大町市の歴史を学ぶことができました。