第46回 ソーシャルディスタンス

スキーシーズン後半

 前回のエッセイでは雪不足の中、私の勤務している白馬五竜スキー場だけは、雪に恵まれて、大変な混雑等と書いたような記憶がありますが、世界中を巻き込んだ新型コロナウイルスの影響で、海外からのスキー客が激減し、スキー場にも閑古鳥が。各種大会や修学旅行、検定会等も全て中止となってしまいました。

 それでも、都市圏に比べると感染の報告も少なく、個人的には多少の緊張感を持ちつつも、あまり変わりのない日々を過ごしておりました。

白馬五竜アルプス平
白馬五竜アルプス平

母の入院 そして別れ

 母はすい臓がんを患っており、摘出手術の後、通院による抗がん剤と痛みを抑える薬の投与を受けていましたが、私自身は覚悟をしてはおりました。

 そんな母から4月初日に連絡を受け、私は入院を勧めました。通院中より一般病棟ではなく緩和ケア病棟への入院を希望していた母は、望み通り緩和ケア病棟に入院し、私も必要、緊急の用として、埼玉へ向かう事となりました。

 本当に偶然ですが、実家は入院した病院の隣にあり、実家から徒歩でも数分で病院に到着できる距離であったのと、一般病棟は一切の面会を許可されていない中で、緩和ケア病棟は面会と付き添いを許可されていたので、連日のように見舞いをしておりました。

 そんな折に、食料を購入するために必要最低限の時間、スーパーに買い物に行った際には、あれだけ他人との距離をとるように言われているにもかかわらず、非常に近い距離でレジに並ぶ姿、エスカレーターの手すりに摑まる人の多い事には、思わずドキリとしました。

 病院では、正面玄関で検温と手の消毒、エレベーターに乗る際にはボタンは肘で押して、病棟に入る際も署名と消毒をしてと、非常に注意を払っていたのに、スーパーでは思わず大丈夫?と思う始末。それでも池袋まで車を走らせてみると、街には人が消え、ほとんどの店舗がシャッターを下ろしている状態。異様な光景だったのを今でも覚えています。

 早ければ1週間と、入院時に担当医から聞かされましたが、母は3週間頑張り、そして旅立ちました。最期は私と家内、そして妹の3人で看取ることが出来たのは本当に有難かったと感謝しています。

 告別式では斎場より、参列は10人以内でお願いしますと言われてびっくりし、場所の確認に斎場に電話をした叔父は、「本当に参列されるんですか?本斎場ではコロナウイルスで亡くなった方も火葬していますよ。」と担当者から言われ、参列を諦めました。こんなところにも影響があるのだと考えさせられました。通夜、告別式を行わず、火葬だけという方も少なからずいらっしゃるそうです。

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大町へ戻り 日常へ

 政府からは、「人との接触を8割削減して」と言われておりましたが、私には無理です。普段なら、買い物にさえ行かなければ、接触するのは家内一人(笑)。 畑に行って作業して、帰宅して、晩酌して、寝る、の繰り返し。何かなければ人との接触はあまりありません。

 大町に移住して感じたことの中の一つに、「都会と人との距離が違う」という事がありました。セミナー等では話すことがあるのですが、都会では他人との物理的な距離は非常に近いけれど、心の距離は遠いと感じます。大町に移住してからはそれが逆転したことに、最初は戸惑いもありましたが、この距離感が、今は心地よいとさえ感じています。

 私は、東日本大震災がきっかけとなり、大町市へ移住しました。きっと今回の流行をきっかけに移住を考える方もいらっしゃると思います。日々の適度なソーシャルディスタンスが確保できる大町市、リモートワークが可能だという事が多くの業種で判明したことも、移住のハードルを下げる効果があったのかもしれません。

 小雪、高温であった2月、3月ですが、4月の低温により、りんごの生育は平年並みで推移しています。農家にとっては、この先も、平年並みの気候であってもらいたいと願っています。

6月のりんご畑
白馬五竜アルプス平